【目次】

ツアーをプランニングするとき、要素として盛り込みたいと常に考えていることが「激変」です。
「激変」=「劇的な変化」。
サイクリングしながら進んでいくと、風景だけではなく、いろいろなものが変わっていくということです。
それは3時間の訪日外国人向けの東京のツアーでも、2週間近い海外ツアーでも同じことです。
当方には日本国内、あるいは海外の各所からもサイクリングツアーの売り込みを多数頂きます。
それがピンポイントで素晴らしくても、連続的に「激変する展開」があるかどうかが、自分としては重要です。
その意味でも、
・ヒマラヤ越え(チベットから亜熱帯のネパールへ)
・ペルー(アンデスからアマゾンへ)
・モロッコ(アトラス山脈からサハラへ)
の3つは、この地球上のサイクリングで、もっとも激変するところではないかと感じています。

1 地理のお話
で、今回はネパールの地理のお話。
「ネパールってどんなところ?」というと、まずはヒマラヤを思い浮かべる人が多いと思います。
特徴をかいつまんでいうと


ネパールには、短い距離ながらも、標高差による「激変」がある、ということです。






「ネパールってどんなところ?」というと、まずはヒマラヤを思い浮かべる人が多いと思います。
正解! でもそれだけじゃないんです。
よく言われるのが「寒いんでしょ?」正解! でもそれだけじゃないんです。(←コピペ)
よく言われるのが「寒いんでしょ?」正解! でもそれだけじゃないんです。(←コピペ)

@最高地点は8848m(エベレストのてっぺん)
A最低地点は70m(南側のインドの国境付近)
B緯度は日本の奄美大島あたりに相当
つまりは、基本は暖かい地域。
つまりは、基本は暖かい地域。
でも、標高が高いと寒くなる。
国土でいうと、広さは北海道の1.8倍くらい。
国土でいうと、広さは北海道の1.8倍くらい。
横長な長方形(ザックリ言うと)

南北は130〜220km(地図上での実測)東西は約800km。
つまりは南北に移動すると、わずか150kmくらいの直線距離で、標高差が8000m以上になる。
こんな国って他にない。

ちなみにですが、我らが日本も、北海道から沖縄まであって、多彩な自然景観や文化があります。
でも地図上で宗谷岬(最北端)から与那国島(最西端)まで測ると2900km。
ネパールには、短い距離ながらも、標高差による「激変」がある、ということです。
ただし、ネパールで人が住む上限は4000m程度。
(ヒマラヤ越えツアーで越える峠は5150mですが、これはチベット側)で、どんな激変かというと、こんな感じ。
≪風景≫
≪風景≫
皆さんがイメージする雪と氷の世界、でも多くの場所は亜熱帯で、バナナが繁る
≪民族≫
≪民族≫
ざっくりいうと、
標高が高いところ(北)はチベット系で、日本人っぽい顔立ち。
標高が低いところ(南)はインド系で、彫が深い顔立ち。
標高によって(という言い方が正しいかはともかさておき)、チベット系とインド系の混じり合いの度合いが異なり、100以上もあるとも言われる少数民族がすみ分けています。
なのでネパールの奥地(標高の高いところ)に飛行機で行き、南に向かって下っていると、風景、人の顔立ち、食べ物、言葉など、いろいろな激変を体中で受け止めることになるのです。
そんな激変ぶりの写真は、追々…。

2 激変する風景の決定版!
前回は風景が激変するネパールのサイクリングの地理的な理由について紹介しましたが、今回はその写真をご覧下さい。
この写真は、首都カトマンズに向かう向かう飛行機の中から見えたエベレストです。
まずはネパール第2の都市・ポカラから山奥の村まで、小さな飛行機でアクセス。
荒涼とした風景、そしてヒマラヤがドッカンーーンとそびえる様子は、まるでチベット。
でも、標高は3000m弱で高山病の心配も、非常に少ないのがありがたいです。
薪などの荷物を積んだロバの群れとすれ違いながら、いくつかの村を通過。
歴史的にここは、ヒマラヤを挟んで、チベット高原とネパールを結ぶ街道でした。
チベット高原(元は海だったので、塩湖が多数)で採れる岩塩を、ネパールに運ぶ、いわばヒマラヤ版塩の道です。
ここは明治初期に日本人の僧侶・河口慧海が鎖国中のチベットに、仏教の原典を求めて入るため、一時滞在したところ。
(これは後のコラムで)
さらに進むと、谷がどんどん深くなっていき、バナナが実る亜熱帯へと突入します。
3〜5日でこの激変ですから、ネパールの旅はやめられない(^-^)

3 ヤクドナルト?!
ヤク(チベット牛)のハンバーガーの店です。
山奥の村の空港の、少し奥地にあります。
となりにセブンイレブンの看板がありますが、“of course”手書き。
電話やFAXは“of course not”と書いてありました。
コピー機やATMなんてサービスは、もちろん…。
10年くらい前の写真ですが、今は携帯電話の電波も入るようになっているでしょうから、様変わりしているかも。
確認しに行かねば(^-^)

4 河口慧海の足跡
自分にとって河口慧海は、「こんなに偉大な日本人がいたとは」思う人です。
ざっくりいうとこんな感じ。
(ウィキペディアより抜粋)
・幕末の1886年、大阪・堺の桶樽職人の家に生まれる
(お寺の跡取りなどではないことがポイント)
・仏教を学ぶが、漢語に翻訳された日本に伝わった仏典に疑問を持つ
・仏陀本来の教えを求めて、鎖国中のチベットに入国
・日本人であることを隠し、チベットの僧侶として、ラサで学ぶ
(ということはチベット語や仏教について、相当高いレベルであった)
・2度に渡るチベット行きを行なう
↓ ↓ ↓
日本の仏教界からはまったく評価されない。
(彼を評価してしまうと、日本のお経が間違っている、ということになるため)
河口慧海については、生まれた堺市の調査でも「知っている=5.8%」と非常に低い。
大阪・堺市の七道駅の前には、河口慧海の像があるのですが、11月末に行なった大阪ツアーのときには、彼について熱く語らせて頂きました。
[写真 左]河口慧海がヒマラヤ越えをしてチベットに向かう前に、ネパールの山村に滞在したマルファ村
[写真 右]マルファ村にある河口慧海ゆかりのお堂内部

5 ヒマラヤのタトパニ(温泉)
ネパールにも温泉があります。
温泉=火山の産物=ヒマラヤは火山ではないので温泉もない。
そう思っていましたが、ヒマラヤ山脈は今も隆起していて、その摩擦熱で地下水が温められてお湯となって湧き出すのだとか。
温泉はタト(熱い)パニ(水)と言われていて、温泉が湧き出ているところは、大体そういう地名がついています。
下見の時に“タトパニ”があると聞きつけて、延々登っていったら、小さな水たまり(お湯たまり)だった、なんてことも何度もありましたが。
(ネパールには温泉のガイドブックなんてものはないので)
いろいろな場所で“タトパニ”に行きましたが、ツアーで訪れているここは、ベストと言っていいところです。
マウンテンバイクで走って行って、温泉にドボーン&チソビアル(冷たいビール)。
たまらんですね〜(^-^)

6 ネパール ヒマラヤの五右衛門風呂
タトパニ(温泉)の後は、日本式の薪で炊く五右衛門風呂の話です。
荒涼とした風景から、バナナが繁る亜熱帯へと下った後は、数時間クルマ移動して、ポカラ郊外の丘の上へ。
ここには風の旅行社の宿「つきのいえ」があり、五右衛門風呂があるのです。
日本と大きく違うのは、風呂からはヒマラヤがドカーーーーーンとそびえていること。
五右衛門風呂に浸かりながら、大絶景を眺め、風呂上りにまた大絶景に囲まれるようにしてチソビアル(冷たいビール)!
「至福の時」とは、このためにある言葉では思うワケです。

7 “my best of 山岳的絶景”
世界中に“絶景”と言われるところは数多ありますが、“my best of 山岳的絶景”はここ、ポカラの郊外です。

8 普通の、オーガニックな農家”
ヒマラヤの大絶景を見ながらサイクリングをして、里へと下っていく。
実はここからが、本当に見て欲しいネパールなのです。
2007年のこと。
この界隈を下見サイクリングしていて、偶然道を尋ねた農家。
「お茶でもどう?」と勧められお邪魔したのがきっかけです。
ネパールでは普通の暮らしだろうと思うのですが「人ってずっとずっと、こうやって生きてきたんだろうなぁ」と感慨深くなるのです。
・赤ちゃんからおばあちゃんまでの5世代がそこに暮らす。
・水牛を飼い、そのミルクでチャイを作る。
・水牛のし尿から作る堆肥で、家の周りの畑を耕す。
(今でいえばオーガニック)
・畑にはいろいろな種類の野菜や果樹が植えてある。
・季節ごとに収穫できるものがあり、完熟したものだけを収穫する。
・それらを家族で消費し、余剰は近くの市場で売る。
この農家にいろいろな季節にお邪魔してきました。
そのたびに、完熟したものを、枝からもいで頂きましたが、
トマトの甘いこと
バナナの甘いこと
カリフラワーの甘いこと
オレンジの甘いこと
と、書き出すと切りがないくらい。
オーガニック、地産地消という言葉は、日本でも一般化したとは思いますが、かつては普通にやっていたことなのかと。
肥料、冷凍や薬品などによる保存、物流の発達などによって大量生産するのが“先進国”の食だと思います。
これがいいとか悪いとかではなく、
(もう一度書きますが)
「人ってずっとずっと、こうやって生きてきたんだろうなぁ」と感慨深くなるのです。
個人的に、これが見て欲しい、感じて欲しいネパールです。
もちろんこの村から、ヒマラヤはドカーンとそびえています。
(ホントにドカーンです!)
【ツアーレポートと動画】
このルートでのサイクリングツアーが、最初が2003年。
そのときのレポートがこちら。
以降、幾度となくツアーを開催してきました。
これは2014年のレポート。
動画はこちらです。
自分でも久しぶりに見ましたが、とてもおもしろい!